2016年3月11日金曜日

「英語で何て言うの?」をやめる

「Rちゃんのパパぁ!みてぇ!どろだんごつくってん!」
保育園でこういう場面に出くわすたび脳裏に浮かぶ言葉は、”That's so sweet.”

直訳すれば「めっちゃかわいい」といったところか。しかし英語のsweetと日本語の「かわいい」ではニュアンスが違う。例えば、女性が彼氏からプレゼントをもらって"That's so sweet!"って言うシーンを、アメリカのTVドラマでよく見かける。この場面で女性がsweetと形容してるのは、プレゼントを用意してくれた彼氏の行為そのものだ。大人が大人にしてもらった行為を日本では「かわいい」とは言わないから、この場面のsweetは「かわいい」とは訳せない。

「かわいい」と訳しうる英単語はcute, adorable, beautiful, prettyなど他にもあるが、それぞれ使う場面とニュアンスが異なる。その違いを見分けるのが非ネイティヴには難しいが、地道に学ぶしかない。

例えばcuteは大人が子どもを「かわいい」と言うときにも使うが、女性が男性の容姿を褒めるときに使われることが多いように思う(一度だけ女性に言われて有頂天になった)。逆に男性が女性に使うのは、今のところは見たことがないが、映画「ミルク」の中でゲイの男性が同じくゲイの男性に対して使っていた。

adorableは小さい子どもに対してよく使われる。僕の中では「可愛らしい」と変換されることが多い。でも米コメディBig Bang Theory中、今から紹介してもらえる女性はHOTであってほしいと言うハワードに対し、ペニーが冷たく"She is adorable."と言い捨てるシーンがある。可愛らしい人に対してなら大人の女性にもadorableは使って良いのだろう。

日本では「かわいい」に相当する英単語といえば、真っ先にprettyが出てくることが多いように思う。しかし僕自身は、この言葉が人を形容するのに使われた場面を1度も見聞きしたことがない。「かわいい」という意味で使われてるのですら、ペニーが衝動買いしてしまった高価な靴に"pretty, pretty, pretty"と呟いているのが唯一だ。

CaliforniaのBerkeleyに住んでいたとき、子連れで歩いているときやバスに乗っているときによく言われたのがbeautiful。あちらには子どもを日本語で言うところの「美しい」と形容する文化があるのかもしれないが、へちゃっとした典型的なモンゴロイド顔の甥っ子を抱っこしてても言われたので、beautifulには「かわいい」というニュアンスもあるのだと思う。
カミさんが子どもを連れて歩いていたとき、前方から奥さんと一緒に歩いてきた老紳士がしゃがみ込み、うちの子に向かって”You are so beautiful. Yes, you are.”と言って去って行ったことがあった。カミさんからの又聞きではあるがいかにもカリフォルニアらしいエピソードであるとともに、アメリカ人はこういう表現をするのかと強く印象に残っている。

地方出身者なら、他の地方の人に自分の地元特有の言葉を説明しようとしてできなかった経験が、一度はあるだろう。そのまま当てはまる言葉が標準語にないからだ。例えば「いちびり」。お調子者でくだらないことを繰り返す者を指す関西の方言で、その対象を見下すニュアンスがある。これにずばり対応する名詞は日本語標準語にはない。だから標準語には直訳はできない。「それ標準語では何て言うの?」という質問は成り立たない。

日本語同士でもそうなのだから、日本語と英語ならなおさらだ。「それを英語にしたらどう言うの?」という思考は、その発想からして間違っている。「英語にする」ことのできる日本語なんてほとんど存在しない、日本語にばっちり対応する英語なんてあり得ないと思った方がいい。

この日本語を英語にそのまま変換しようとする思考を捨て去ることは、中学校入学以来ずっとそうして来た僕には、なかなか難しい作業だった。しかし「英語に直す」のを止めて、「この場面でこういう趣旨のことを言いたい時アメリカ人ならどういうだろう?」と思考方法を変えてから、上達のスピードがずいぶん上がった感覚がある。
例えば「いくら何でも政治家がこんな馬鹿なツイートをするはずがない」を英語にするとどうなるか?直訳するなら”Politicians must not tweet such a foolish comment.”といったところだろうか。これに対して僕が「アメリカ人ならこう表現するんじゃないか」と考えた上で選んだのはこれ。

”No politician was supposed to tweet such a ridiculous comment. ”

もちろんこれが正解である、ネイティブの感覚に近いという自信はない。そこまでの英語力が自分にあるとはうぬぼれていない。でも大事なことは、単語を一つずつ置き換える悪しき受験勉強的思考を止めて、全く言語発想が異なる英語話者の立場に想像を巡らせる作業を地道に続けることだと思っている。ニュースやドラマを見てても、この「アメリカ人なら?」(「イギリス人なら?」「フィリピン人なら?」でもOK)という思考訓練を続けていると、「なるほど。こういう場面で英語ネイティブはこういう表現を使うのか!?」と気付く機会が徐々に増えてきた実感がある。

日本語と英語は単語レベルでも文章レベルでも本来互換性がない、こう割り切ったころから英語力は本格的に伸び始めるものだと思う。






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